白人美女天国を揺るがし始めたエキゾチックな南洋・東洋美女たち
【第2回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■ソテツの葉の奥に見えるエキゾチック美女の挑発顔!
そんなところにマーティン・デニーのエキゾ・ミュージックが登場したわけだ。1957年、冒頭で紹介したアルバム「EXOTICA」がリリースされてヒットする。ジャケには東洋風の白人美女。まだまだオリエント顔まで至らないが、どことなくエキゾチック。そして翌年には黒髪の美女をジャケに配した「Exotica VOLUME II」がリリースされる。
大衆も少し慣れてきた。しかもアメリカは公民権運動の時代に突入しようとしていた。黒人の権利獲得の運動は、白人以外の人に光を当てようとしたものともいえる。
そんな時勢の59年、レス・バクスターのエキゾ名盤「AFRICAN JAZZ」がリリース。アフリカ先住民の祭事のときのようなメイクをした女性のジャケは強烈なインパクトがあった。でも、音楽は都会的なジャングル・ジャズ。そう、サバービアの洒落た住まいで聴く心地良く洗練された音楽。
アフリカのことは映画で観れば充分。金持ちの酔狂でなければ、そんなとこ行かないでしょ、という時代だったのだ。
もうだいぶ異郷風情にも慣れた。音色にこだわり実験的なムード・ミュージックをやって「スペース・エイジ・ミュージック」の創始者のひとりといわれるフェランテ&テイチャーは「PIANOS IN PARADISE」をリリースするが、モデルは漆黒の美女!
ああ、黒人女性モデル。KKK(クー・クラックス・クラン/白人至上主義団体)はこれをなんと思ったか!? 黒人のやるジャズ・レコード以外で黒人女性がモデルになることがなかった時代、白人アーティストのレコード・ジャケットを黒人女性モデルが飾るというのは画期的なことだった。